ひとりごと69 05.7.30

〜里アンナ〜

里アンナが本格的にデビューした。バンザイ〜〜
最初の出会いはもう五年以上前
「民謡を歌える歌手はいないだろうか」と探していたところ ミュージシャン仲間が当時プロデュースしていた彼女に出会って スタジオでアカペラで歌って貰った
すぐ「この娘だ!」とビビビと来た。
普段は、全く知らない人に参加してもらう事がない総合プロデューサーの吉岡氏も気に入ってくれたので、 すぐに録音に参加してもらったのがきっかけ。

その当時彼女は、ブラックコンテンポラリーのプロデュースを受けていて、 クラブなどで歌っていて、その後 別 の事務所に入り「香」に参加してもらいたいと思った時には許可が降りず 残念だった。

 香が発売された時に「事務所をやめてフリーになったので、何かあったらよろしくお願いします」 と連絡が来た。
もう「香」は発売された後なので、私のアルバムに参加してもらうには時間があるので 「彼女のソロを作ったらどうだろう?」 とパシフィックムーンと話していて 「私が会って話してみるよ」 と 自宅近くの喫茶店で、「自分のソロを出してみない? パシフィックムーンは、歌ソロ物は民謡以外はないんだけれど 新しいチャレンジで」と話をし パシフィックムーンのスタジオ フラミンゴサウンドに来てもらった。

その時に最近の彼女の声を聞かせてもらうのに、レッスンしているという所で録音してもらったデモテープを聞かせてもらったが 強い声しか出なかった彼女に 弱い歌い方を教えようという試みで、歌謡ポップス系の曲ばかりがそこにあった。

CDを作るにあたって「民謡だけだと 強いイメージだけだから、曲の中で起伏をつけるためには、弱い部分を歌えるだろうか・・」 と私もそこが心配していたのだが、それはクリアしたようだ。
ただ、曲の中でのその起伏がなくて、サビも弱いまま一定にいってしまう癖がついていて、強く歌えなくなっていた部分があったので どうなるかな・・・ということもあり とりあえず「試しでオムニバスに1曲」という話を貰った。

その曲の作り方は、普段とは変わっている。
プロのアーティストとしてレコーディングに関わってもらうために 「作詞をしたらどうだろう?」と提案 ただ いきなり作詞 といっても難しいので 「思いつくままの 言葉の羅列の箇条書きでいいから、いくつか書いてきて^^」 という感じにした。 彼女が出してきたモチーフを基本に 曲を作り、 歌詞が足りないところを また彼女が作る というやり方だ。
形容詞が多いので「これは何を伝えたい歌なのか?」など何度かやりとりをしながら進めていった。
そして私がイメージしていた彼女への曲を書いて出来上がったのが「月の足跡」である。
女性の裏声と地声の変わり目を上手く使った曲がいい と思い作った所とてもうまく彼女にはまったと思う。
仮歌も 今までの民謡のパターンだとお師匠さんの歌い方を真似て伝えて行くのが伝統らしいので、彼女にこう歌って欲しい と思う所は そのように歌い、見事その作戦に彼女は乗って歌いこなしてくれた。

ご存知の通り「月の足跡」の歌詞は、かなり漠然としているもので 歌詞だけを見ると んーーとうなるものがあり 「2004年のオムニバスに入れるにはちょっと早いから、来年2005年のオムニバスに延期したい」と話に変更されたのだが、 何年もデビューを夢見てきた彼女をがっかりさせたくなかった
私自身も同じような経験をしているし、無理にぶち込むことはないだろうけれども、 紙に書いた字面を見た目の歌詞よりも 本人が作った歌詞だと 誰よりもメロディと声にその歌詞があてはまる場合があるので 早急に 自宅スタジオで録音し、パシフィックムーンに送った所 「いいよこれ! 歌詞全然気にならなくなった。曲と声がいいから十分!ギリギリ間に合うから、オムニバスに入れるよ」という事にあいなり
最後のボーカルレコーディングでラストのシーンをもう少しテーマをはっきりさせようと「思い伝えて 生まれたあの島へ いつか帰ろう 祈りをこめて明日を歩いて行く」と変更し、無事 「月の足跡」が世に出る事になったのだったホッ(-。-;)

「月の足跡」のアレンジは少しだけ迷った。
パシフィックムーンのオムニバスの中にいれるので、完璧ポップスの作りにしてしまうと浮いてしまう。
そこで、ベースをわざといれないで、チェロの阿部さんと、琴の小宮さんが絡むような間奏も作ってみた。

その後デビューCD作りとなるのだが、いろいろ話していると
本人が何をやりたいのかというよりも、歌う事が好き。という印象を受けた。
それだけにプロデューサーが変わると、それに染まってしまう いつも白無垢でいる花嫁のような これもまた貴重な存在だ。
一番スタッフに愛されるタイプかもしれない。

(私も歌う事が大好きだから何歌ってもいいんだけど・・(~ε~)ボソ
歌いはじめると、好きな曲も歌いたくなるし、「この歌より自分の作った曲の方がいいなあ それが歌いたいなあ(~ε~)ボソ」とがめつくなるから スタッフが手出し出来なくなり愛されないんだろうな(ーー;;  これぞ独り言)

それに下手な歌い手ではなく、民謡というしっかりとしたものが彼女の身体の中にあるのも強みだ。
これまでにブラックのプロデュースを受けたり、歌謡ポップスの指導を受けたりしていると、自分がわからなくなってしまっているのではないかとも心配はあったが、
彼女は自分の20才までのあの「ほーねん節」で披露してくれた姿をとりもどしつつある。

CDの歌録音にあたっては、民謡になると生き生きと声量もがつーん と来るのだが、他の曲になると声量 が1/4ぐらいに下がり、優しい音色になる。歌った事のない民謡っぽい曲でもそうなるので、なるべく強め強めに歌ってもらい早めのテイクでいいもの選ぶ作業にした。
(何度も歌うとどんどん声が小さくなるので)

考えてみれば、民謡は、おじいさんからずーっと 生まれてから20年近く毎日毎日同じ曲を練習して おじいさんの歌い方を覚えて来たわけだから、
すぐに当時と同じように歌う事が出来る。
だけど、このレコード業界のレコーディングとなると、新曲の練習期間などないに等しく、節まわしなどを伝える師匠となるその新曲を歌いこなす人物も存在しない(なにせ新曲だから)
その曲のレッスンに1年〜20年かけて 民謡と同じレベルになるまで待つわけにはいかない。

ここが大きなポイントで、次のアルバムでの我々プロデューサーのテーマでもある。
そして里アンナの次のテーマは 「どの曲も自分のものにしてしまう事」であろう。

「奄美出身の里アンナ」が好きな人は もちろんあの民謡での力強い透る声が聞きたいだろうし。
「今年初めて知った里アンナ」という人は、優しい声のが好き。
と2分極されているらしい。
さて どちらに行くのかの最終決定は、メーカー側だが、アンナちゃんファンの方々は どうでしょう?^^

私は どちらにしても彼女が5年、10年たっても歌い続けていられるような歌手であれるように
曲作りやイメージ作りに出来るだけ長く参加したいと思っている。