六郷用水


2007年、子供の夏休みの自由研究につきあって−手伝って?−写真撮影や地図探しをした。ということで、そのときの断片を掲載します。

 六郷用水は、多摩川の北側沿いに、小泉次大夫により開削された用水。
徳川家康が江戸入りするにあたり、新田開発を積極的に推進しているが、その一環で開削されたもの。
計画は1597年2月に立てられ、4月着工。
多摩川の狛江市和泉で取水し、世田谷・大田区を流れていた。
大田区の千鳥町付近で分岐し、北堀は池上、大森方面へ、南堀は蒲田・六郷・麹屋方面へ。
全長約30キロメートル。特に、嶺付近で、丘を切り通して工事しており、難工事だったとされている。



今は、大田区の部分はほとんどすべて地面の下になっていて、跡地にこんな印が残っているばかり。


  ←「六郷用水物語」とかかれた石が埋まっている。      



昔の地図上の六郷用水 明治14年 荏原付近
                明治14年 蒲田付近


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